モラハラ夫との離婚~どうして私がオーストラリアに来たのか~

こんにちは。姉やんです。

今日はこのタイトルでちょっと重たいかな~と思ったのですが、少しでも離婚について悩んでいる人の支えになるような記事を書きたいなと思って作成しました。 ちょっと重たいかもしれませんので、気になる人だけ見てください。

自分について

もう少しで30歳になる姉やんですが、一度離婚を経験し、職場も退職してからオーストラリアに来ました。

今までの私は割と外交的な性格で旅行やショッピングが大好き。また順風満帆な人生を送っており、家族にも友達にも恵まれていました。

高校は地元の進学校、大学は推薦で現役合格、作業療法士の国家試験も一発合格で、実習先であった病院から働かないかとのオファーがあり、希望の病院へ就職することができました。

22歳の時、最近は珍しくない携帯アプリで知り合った元旦那と出会い、24歳で結婚。

27歳で子供が産まれればいいなと勝手に人生設計を立てていました。

同棲期間はとても楽しかった

元旦那とは22歳の時に知り合い、知り合って何か月かしてから同棲を始めました。

元旦那はもともと内気な性格で、アニメを見たり家にいることが好きな人でした。私とは割と正反対な性格をしていました。

同棲をしていた時はとても優しく、

・飲み会帰りには必ず迎えに来てくれる

・お弁当を作ってくれる

・旅行をするときは熱心に計画を立ててくれる

・職場の飲み会があっても快く送り出してくれる

など同棲中元旦那はとても気を使ってくれて、この人と結婚したら楽しいだろうなと思い、よくゼクシィをちらつかせていました。

結婚してからが地獄・・いや楽しいときもあった

結婚式

結婚にはあまり乗り気でなかった元旦那ですが、私や母親のすすめもあってか、プロポーズはなくトントン拍子にことが進みました。

しかし、結婚式の件になると「お前がすべてやるんだな。それならやってもいい。」と言い出しました。親同士もやってほしいとのことだったので、私が頑張ればいいやと思って結婚式の準備を進めました。

すると、本当になにもしなかったんです。プロフィールの部分や彼の職場の人への対応、最後のスピーチ。しいて言えばタキシードの試着を無理やりさせたときに足を運んでくれたくらいです。

 結婚式当日には悲劇が起きました。彼の先輩に乾杯のあいさつを頼んでいたのですが、それが伝わっていませんでした。わざわざ菓子折りと手紙を持たせて渡してねと言っていたものは、自分で食べて捨てたそうです。

結局は代役を引き受けてくださる方がいました。また、最後のスピーチも私が台本を書いていたため、当日漢字が読めなく、スピーチの途中止まってしまいました。

新婚旅行

新婚旅行は私がすべてお金を出して、少し高価なプランでイタリアまで行きました。

毎日朝ビュッフェがついていたのですが、ほかの新婚さんは仲良く一緒に取っていたのに、彼はテーブルでただ座っているだけ。私がすべて彼の好きそうなものをとってきてあげました。

また、その時子宮の病気を患っていた私は腰の痛みのせいで数分歩いただけで辛くなっていました。タクシーの利用をずっと懇願していましたが、彼はNOと言ってローマ中をすべて徒歩で回りました。その後日本に帰ってから私は病気のため6か月間休職をすることとなりました。

日常

休職中も辛くて泣いていると「うるさい」と言われたり、痛みで家事ができないと怒って外に出てしまうことがありました。

また、私の誕生日の日には、凍り付いた車の窓ガラスをガリガリと取っていたら怒られ(雪下ろしは私の仕事でした。私は冬道運転できなかったので)、ある日には車の道案内ができないと怒鳴られました。

楽しいときもあり、一緒に大好きなカツやハンバーグを食べに行くこともしょっちゅうでした。

元旦那が働けなくなってから

元旦那が部署移動となってから1年。彼がストレスで働けなくなりました。

私は病気から復帰し問題なく働いていた時です。病院に連れて行っても、うつ病ではないとの診断。子供の引きこもりみたいになりました。

そのころから気分の上がり下がりが極端になり、怒鳴る回数も徐々に増えました。

・食器洗いをしていると、その音がうるさく怒鳴りつける

・飲み会で遅くなると、夜中でも一人暗闇の中で私の作るごはんを待っている

・3日引きこもってごはんも手に付けず、気分のいい時だけ出てくる

・ものを投げつける

・病院に行かない、薬を飲まない

・ネットショッピングで毎日ものを買う

・久しぶりに外出すると、いつのまにか30万円の時計を何個も買っている

など細かく言えばもう少しありますが、毎日私は疲弊し泣いていました。

ただ好きだったため1年間彼のために働きました。いつかまた同棲していた時のような元旦那に戻ってほしいと思う一心でした。共依存ですよね。

義母は精神保健センターで働く看護師で、私たちの身の回りのサポートや私のメンタルケアを行ってくれていましたが、辛いことを知っていたため無理しなくていいよと言ってくれていました。

離婚に至るきっかけ

ある日私は部署の中でもサブリーダーをしていたため、後輩に教える機会がたくさんありました。後輩が発表資料をつくるため、私も一緒に残っていました。その間はまめに元旦那に連絡を取り、遅くなることを伝えていました。

帰り11時くらいになってしまい、「帰ったら愚痴でも聞いてもらおう」と思っていた矢先に、

「何時だと思ってるんだ馬鹿野郎。」と怒鳴られました。

そこで私は思っていた感情を全部ぶつけてしまい、別居することとしました。

別居するにあたって

仲の良かった友達が家に泊めてくれたり、心配して駆けつけてくれる友達もいて、すべて友達が助けてくれました。

借りていたアパートに元旦那は住んでいたのですが、すべての契約を私がしていたため家賃・水道光熱費・携帯代は元旦那のために何か月か払いました。さすがに契約を切りたかったので、そこの対応はすべて両家の親が行ってくれました。

離婚届けは郵送で

メールも電話もすべて無視されていたので、義母と連絡を取りながら進めました。向こうは別れたくないと話していましたが、義母が説得をしてくれました。本当に第三者目線で公平な立場になって考えてくれた義母に感謝です。

別居後は友達の家に居候

離婚をしたというショックで毎日泣いていましたが、助けてくれたのは別居時に家を貸してくれていた友達でした。

飲み会に連れ出してくれたり、おいしい料理を作ってくれたり、慰めてくれたりと、次第に笑えるようになってきました。(ふとした瞬間に泣いてしまうのは離婚して一年後くらいにおさまりました)

その間にみんなから「もう自由なんだよ」と言われ、夢だった海外移住をしてみようと決意しました。

オーストラリアでのワーホリの目標は特になく、あこがれの海外生活をしたいという不純な動機で来ました。

自分が幸せになりたい、幸せに生きることが一番の親孝行なのではと考えるようになりました。

離婚を考えているあなたへ

自分はいま幸せなのだろうか、このままで幸せなのかということを考えてみるといいと思います。

数年後も環境が変わらないのか、変えられるものなのか。

また、第三者の意見は大切です。

私は好きだからという理由で一緒にいて、辛い思いをしました。ずっと友達からは「辛い思いをしているのに、どうして離婚しないの」と毎回言われていました。もっと友達の意見を聞くべきだったなと思います。

私自身いい嫁ではなかった

反省すべき点がたくさんあり、元旦那が家で待っているのに飲み会で帰りが遅くなったり、怒られたら考えずにすぐ泣いてしまったりと改善できたことはあったのではと思います。

人生は一度きり

ただ人生は1度きりしかなく、外の世界を見ずにひとりの人に固執して自分の幸せから目を背けることはもったいないなと思います。

離婚後1年間は非常につらかったです。ですがその痛みはいつか消えます。いつかいい思い出に笑い話になればと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。